毒親 ③

毒親シリーズの続きです。

臨月、実家に身を寄せていた私。電気・ガスの無駄遣いを親に注意したところ、その次の日には母親から即退去を求められ、執拗で陰湿な嫌がらせが始まりました。

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この窮地を救ったのは夫でした。夫に会って状況を告げたところ『臨月の娘に?!実の娘に出ていけっていうの?信じられない、俺は罵られて当然だけど、実の娘に臨月の時に出て行けって…荷物も自分で持って行けって…ありえない。異常だよ…』と最後の方は、目をつむって話していました。

この時、私は初めて思ったんです。『臨月の時に娘を追い出す親って異常なんだ…』30数年この毒親と暮らしてたら、今回の事も普通に受け止めてたんですけどね。当時の光景、場所のことをいまだに鮮明に覚えているくらい鮮烈な言葉でした。

母親との確執の歴史は根深く、臨月の事件以外にも深く傷ついたことは数多くありました。たとえば、第一志望の高校の推薦入試の不合格結果を、中学校の職員室から自宅へ電話した時の母親の第一声は『あぁ~~やっぱりね~~~』だった。それで頭が真っ白になり、以降母親が何を喋ってるかが覚えがない事件とか。他にも、弟が大学受験を一浪し、二浪目の冬に第一・第二志望の大学から相次ぎ不合格の知らせが届いた時、『体裁が悪すぎる、近所の目を考えて!』と絶叫し介護学校の入学届けを書かせようと迫ってきた母親。部屋で涙していた弟に『大丈夫、頑張ろう。三浪してでもやりたいことをやれ!』と励ましていた翌日、第三志望の合格知らせが届き弟と喜んでいたら、母親が来て『おめでとう~』とニコニコ。手の平返した態度に怒り心頭の弟。そんな弟に『何を怒ってるの???』と全く理解が出来ない母を、私が弟を代弁して思い切り怒鳴り飛ばしときました。『人の気持ちを無視して体裁だけで介護学校の願書を書かせようとしてるたのは誰だよ!お前は人の気持ちが分からないのかっ!!!』と。

母と私の関係は3人兄弟の中でも群を抜いて悪かったです。が、今思うにそれでも私は愛されたいと願ってきたのだと思います。幼い頃から罵られたり、弟と妹がえこひいきされる場面を見ても、頭を柱に打ちつけられたりしてきたとしても。

ですが、夫の言葉を聞いた時に愛されたいという執着が消えたように思います。異常な親なんだ、じゃあもういいや…とすんなり諦められました。妊娠していることも大きかったです。私自身がもはや母親であり、『愛されたい』側の子供ではなく、子供を愛する親へと変わっていました。

何よりも大切な存在がお腹にいる、この子を守るんだ!という強い気持ち。(長男の名前は私の妊娠中の気持ちをモロに表した名前です。)

夫は当時勤めていた会社の業務、そして起業に向けた準備、勉強会等で日夜かつ休日もなく忙しかったのですが、その合間を縫って新居を探してくれました。(新居っつ~か、新築戸建てを私が買わされたんだが…)

私は予定日の10日前、息をひそめて暮らしていた実家から逃げ出しました。書置きを残して。『どうもありがとうございました。ここにいるとストレスでお腹の子に良くないので、私を守ってくれる人がいる安全な場所に行きます。』

この一件以来、親とは連絡を絶ちました。親からも何の連絡もありません。むしろ両親以外の親族とは頻繁に連絡を取っていますが。夫は半年前いまだに両親と連絡を取ってないことに驚いていました。『えっ??あっちの親から連絡ないの?…すごいな初孫なのに??』。えぇ。プライドの高い人達だから。私は産まれてこのかた子供に謝罪してる両親なんて見たことがない…世間一般から見て、誰もがNG判定を両親に出すようなケースであっても。例え、再び交流を持ったとしても、すぐに衝突することも分かりきっているので、会う必要がないです。ストレスは夫だけで十分だから!

ということで、毒親シリーズはひとまず終わりです。

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